sekainohajimarisanの日記

広汎性発達障害の子育てを綴る

就学前・就学後 先生を信頼するまでの話

 

新型コロナウイルス養護学校が休校になってから週1担任の先生が電話をかけて来てくれています。今日もありがとう!!絵が上手で遊び心があって生徒の気持ちに寄り添う大好きな先生なので 電話が来るたび嬉しい。本音も冗談も言える私がいます。

 

十数年前の私は養護学校の先生とほとんど話をせずに眉間にシワを寄せていたこと

きっと先生は想像もつかないと思います。

 

こうなるまでに私と養護学校の先生たちが歩み寄った日々の記録

 

 

特学か養護か就学問題

 

十数年前、就学相談で「高機能自閉だから」と言われ特学を強く勧められました。

 

娘のレベルでは特学は軽度の子のペースが速く養護は重度の子のペースが遅い。

 

急がば回れ

幼稚園にいれたものの園長室で一人絵を書いて過ごし、集団ができなかった。

聴覚過敏も強いし人数の少ないゆっくりとした教育を受けさせたい。

 

地域の特学に見学に行った時、一人のベテランらしき女性の先生は一生懸命で好感が持てたものの、中年のおじさん先生が嫌みを言いながら男子生徒を長い定規で小突きながら指導していたのを見て「なんか嫌だ!!」と思ってしまいました。

 

市の教育委員会の人たちや養護学校の先生は「地域外の特学もある」「正直、養護学校自閉症の理解が進んでいない」と教えてくれたのでいたのですが、私達夫婦はそんなはずはない・・・手厚い教育を望み期待に胸を膨らませていたので、「養護学校」を強く希望してしまい半ば無理やり入ってしまいました。

 

言う事きかなくてごめんなさい本当に地獄の入り口でした

 

入学式初日から強烈な刺激のお友達の声に教室を出ようと泣きじゃくる娘を先生が

出れないように鍵をかけさらに戸の前に椅子を置き腕を組んで踏ん反り座っていました。

びっくりしましたが、私の躾が甘いのかもしれないとも思ってしまいました。

そして登校日初日から娘は渋り始めました。

 

個人的に意見してみたが完全にスルー

 

入学式が終わりすぐに参観があり、給食室で小学部~高等部まで音と刺激と圧迫感のある空間を目のあたりにしたときにこれは娘にはキツイと思いました。

 

個別で給食を食べさせてほしいと訴えるものの「まだ小学部だから」と流され

コンパクトなついたてを持参したが「こんなものはいらない」と突き返され

管理職の先生にも訴えたが「昔の制度が残っててね・・・」で終わりました。

 

娘の反撃が始まる

 

集団を日々、強要され限界に達した娘が先生に頭から味噌汁をかけたり挑発するようになりADHDの症状が強く出始める。先生も押さえつける。さらに教育?躾?「すみません」の練習ばかりさせていた様で家でも「すみませんでした」「すみませんでした」と連呼の悪循環。

その頃、机に頭をぶつけ目の周りが自傷で黒くなっていました。

 

申し送りも「なんだかすごいのがいる」ただそれだけ。

 サポートブックも作って毎年同じ特性の話をしても・・・それだけの送りですか?

 

同調圧力と無力感

 

「みんな苦労しているのだから一人だけわがままを言うな!!」みたいな同調圧力があり、我慢しろ、諦めろ、これが現実なんだという空気がありました。

 

そして私が意見を言うと

「療育に行くとこうなる子が多い」と意味不明な事を言われ「ここは学校だから」と怒られました。

 

相談しても話を聞くだけ、事業所のパンフレットを渡されるだけでなんの解決にもなりませんでした。

この頃から先生とあまり口を利かなくなり、自律神経がおかしくなり始めました。

 

娘が限界

 

とうとう娘に限界が来ました。度々、トイレに行く娘にオムツを履かされました。(時間を決めてトイレに行くようにと指導されていました)

 

刺激の強いお友達の声や度重なる集団強要に「もう絶対学校に行かない!!」 

と宣言されました。でも「養護学校さえ行かないでどうするの?」と思ってしまい

どうしたらよいのかわからず、嫌がる娘を養護学校に連れて行ってしまいました。

「ここは学校だから・・・」

と言われた言葉が頭にあり学校の事を療育の師匠に相談したことがありませんでした。

 

ある日の療育で

 

療育の指導が終わったあと娘は廊下にしゃがんでオムツに排泄していました。

それを見た師匠が「どうしたの?」という。

私は「オムツをしています」と言ったら「今すぐ外してください!!」と

怒られました。そして「養護学校もずっと渋って行きません」という話をこの時初めて師匠に伝えました。

 

リベンジと戦略

 

「学校の支援会議に私を入れて欲しい」と師匠が申し出てくれました。

外部が入り、少し先生たちがザワザワし始めたのを感じました。

 

・消化試合にならないように私も放課後、娘と一緒に教室に入り細かく写真をとり、記録を取り始めました。絶対になかったことにしたくない思いとリベンジがありました。

 

・放課後に通い環境をリフォームする。TEACCHプログラムを実践する。(ADHDがある娘に自閉症支援をすることで症状も抑える・得意な事を伸ばす支援・ワークシステム)

 

・そして師匠が「とにかくお母さん積み上げてつら貫け!!」(支援会議の継続)

 

先生との力くらべが始まる

 

学校に反して師匠の主導で支援が始まりました。ところが教育者としての先生のプライドが許さないようで

「学校に任せてほしい」と言われました。心の中で「任せてあの結果でしたよね?」と

思いましたが、じゃあどうぞ・・・

ベテラン先生の独特の十八番支援でしたが、娘はパニックになって終わりました。

 

元に戻そうと必死だった先生を見ながら師匠は「もう戻らないよ」と私に言っていました。

 

・我慢して傷ついた分だけ信頼関係を作るのに時間がかかる。

ADHDの特性やLDの対応がわかったうえでの自閉症への支援が必要。

・自己満足の支援ではなく本人の気持ちに添った支援が必要。

・娘の障がい支援と養護学校の教育のベースが違う。

 

そして色々な先生がいた

 

・「あの先生の支援は間違っている」と無知を棚に上げ批判してくる先生

・「宗教かもしれないから気をつけろ」と心配する先生

・自分ができなかった嫉妬心で「やっても無駄だよ」と言うベテラン先生

・自分ならできると浅い知識で熱血支援をする先生☜このタイプが一番危ない

・相談しながら支援を協力してくれる先生☜現在はこのタイプの先生しかいない 

 

 何年か実践しているとある時期からオセロゲームの様に黒から白へ全てかわった瞬間を感じました。(中学部ぐらいから)TVやスマホ発達障害の情報が得られやすくなったという追い風も加わって、養護学校も物凄く理解が進んでいました。

 

いつの間にか応援してくれる先生ばかりになり、娘も「学校だいすき」と言う様になりました。

 私もここまで歩み寄って下さった養護学校の先生方への感謝と信頼、尊敬し始めて今が

あります。

 

まとめ

 

・就学相談のアドバイスをよく聞いた方が良い。(現場の人が一番知っている)

・困ったこと、助けてもらいたいことがあったらすぐ信頼できる専門家に相談して間に入って貰う。(親と先生だと揉めやすい・早期に専門家と信頼関係を作っておく)

・専門家、先生だけに責任を任せない。親も最大限の協力と努力と勉強が必要。

ADHDがあっても自閉症の診断があると自閉症スペクトラムの診断になるので

素人は自閉症の勉強ばかりしてしまいおかしな支援になる。発達障害が重複していることに目を向け専門家のアドバイスを得ながらの支援がベスト。